マイホームが持てる!沿線に宅地を開発し、住宅ローンで販売
鉄道の建設と同時に進められた沿線の宅地開発。
しかし、明治時代の頃はサラリーマンなどが住宅を購入するための住宅ローンの制度が無く、
小林一三も銀行員時代は社宅や借家住まいでした。
そんな、持ち家が資産家など一部の層に限られていた時代に、
「頭金として売値の2割、残りを10年間月賦で払い込むと住宅の所有権を移転させる」という、
土地・住宅を担保とした現在の住宅ローンの走りとも言える住宅販売方法を提案して、
サラリーマン層などの多くの人たちが、マイホームを持って豊かに暮らす機会を作り上げたのでした。
また、新しい住宅地に用意する家屋にもこだわり、土地の豊かな郊外らしく、長屋ではなく100坪もの広い区画の一戸建て。
さらに郊外では石油ランプでの生活も珍しくなかった時代に電灯の設備も用意し、
場所・家屋ともに豊かな暮らしを提案したのでした。
この方法は見事に功を奏し、初回の池田室町住宅は売り出してほどなく完売。
続いて、桜井・豊中などにも理想の沿線住宅地を増やし、鉄道の利用者も増やしていったのでした。